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沿革
学校法人 真颯館高等学校80年の歩み
校歌をお聞きいただけます。
昭和11年 |
九州工学校設立 設立者 小堺 秀次 初代校長 山田 正隆 認可 4月30日 開校式 5月12日 学科 予科…夜間部1年制(土木科・電気科) 本科…夜間部2年制(土木科・電気科) 校舎 小倉北区砂津・元小倉高女跡 |
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昭和12年 | 学科増設 夜間部本科(機械科) |
昭和13年 | 第2代校長 小堺 秀次 学科増設 昼間部(土木科・電気科) |
昭和14年 | 学科増設 昼間部(機械科) |
昭和18年 | 第3代校長 山田 辰雄 |
昭和19年 |
法人組織 財団法人 九州工学校 理事長 元福岡県議会議長 井上 安五郎 |
昭和20年 | 第4代校長 古賀 末夫 |
昭和23年 | 校名改称 九州高等工科学校 |
昭和27年 |
法人改組 学校法人 九州工業学園 理事長 福岡県議会議員・文教常任委員長 花田 二百 |
昭和28年 | 校名改称 九州工業高等学校 |
昭和29年 | 校舎移転着工 小倉市中井 |
昭和31年 | 通産大臣認定校 第三種電気主任技術者資格無試験校(電気科) |
昭和32年 |
20周年記念式典 学園移転 小倉市中井 筑紫分校設地 九州工業高等学校筑紫分校を太宰府に設置 |
昭和33年 | 筑紫分校独立 学校法人 九州工業学園 筑紫工業高等学校 |
昭和35年 |
学科増設 昼間部(建築科)25周年記念式典 体育館兼講堂落成式 第1回九工会総会 記念事業(第2電気実験室) |
昭和37年 | 第1本館鉄筋5階建落成 高松宮・同妃両殿下御来臨 |
昭和38年 | 理事長 若築建設・日本クラウン社長 有田 一寿 |
昭和40年 | 第2本館 鉄筋6階建第1期工事完了 |
昭和41年 |
第2本館 鉄筋6階建第2期工事完了 砂津校舎閉鎖 30周年記念式典 記念事業(校内庭園) |
昭和42年 | 西日本工業大学 開学(四年制)機械・電気工学科 |
昭和43年 | 普通科程併設 西日本工業大学に土木工学科・建築学科増設 |
昭和44年 | 第3号館鉄筋6階建第1期工事完了 |
昭和46年 | 35周年記念式典 |
昭和47年 | 夜間部廃止 |
昭和51年 | 40周年記念式典 |
昭和52年 | 第5代校長 小堺 寿夫 |
昭和53年 |
第3号館増築完成 法人分離 学校法人 九州工業学園・九州工業高等学校 |
昭和54年 | 第6代校長 細谷 六郎 |
昭和56年 | 第7代校長 松井 久郎 |
昭和57年 | 第2体育館完成 |
昭和58年 | 第8代校長 椛島 輝夫 |
昭和59年 | 第9代校長 花田 典夫 |
昭和61年 |
学科増設 電子情報科 理事長 福岡県教科図書株式会社社長 藤井 善信 第10代校長 吉田 繁美 50周年記念式典 機械科実習棟改築 |
昭和63年 |
学科増設 電子機械科 郵政大臣認定校 通信工事担任者試験一部免除校(電子情報科) |
平成3年 | 第11代校長 稲益 俊男 |
平成4年 | 第12代校長 西村 和麻 |
平成7年 | 校門及び校舎周辺工事完了 |
平成8年 | 第13代校長 稲益 俊男 60周年記念式典 |
平成9年 | 美術デザインコース設置 |
平成10年 | 第14代校長 野口 政弘 美術デザイン棟完成 |
平成11年 | 学科増設 調理科 校名改称 真颯館高等学校 |
平成13年 |
総合学科新設 特別進学科新設 建築科伝統技能コース新設 学科昇格 美術デザイン科 介護福祉棟完成 理事長 元北九州市助役 出口 隆 |
平成16年 |
総合学科にトータルエステティック系列を新設 第15代校長 入沢 巧 |
平成18年 | 理事長 大迫 益男 70周年記念式典開催 |
平成19年 |
第16代校長 原口 和生 理事長 久保 高秀 |
平成20年 | 理事長 原田 照男 |
平成21年 | 第17代校長 諸藤 定良 |
平成24年 | 理事長 川崎 哲雄 |
平成25年 | 第18代校長 高原 育生 |
平成26年 | 第19代校長 川崎 哲雄 |
平成27年 | 理事長 長野 敏彦 |
平成27年 | 第20代校長 藤澤 佳隆 |
平成28年 | 創立80周年記念式典 |
平成30年 | 第21代校長 伊藤 孝文 |
平成31年 |
第1本館 鉄筋3階建落成 学科改編 機械電気科、普通科普通コース・普通科美術コース 経済産業省 第三種電気主任技術者認定校廃止 |
令和2年 | 第2本館 鉄筋4階建着工 |
令和3年 | 第2本館 鉄筋4階建完成 |